2015/12/19 12:30
コサージュをつくっているRomantic gardenノリーさんと
神戸の展示に来ていただいた皆様に御礼状を書きながら
あれやこれやと話していました。
あらためて話していたら
わたしが倉敷に移り住んだ頃と
ノリーさんが岡山に戻り、倉敷に住み始めた頃が
同じ時期だったのでした。14年ほど前のこと。
そしてわたしたちは、たまに、倉敷の蟲文庫で
顔をあわせてすこし話したりしていた。
まだあまり友達もいなく、
電車に乗ればすぐに隣の県に行けることすら嬉しかった
道産子のわたしは、少ないやすみの日に電車に乗って知らない街に行き、珈琲屋さんに行くだけ(ただし、何件も)ということをしていました。
あるとき神戸の雑貨屋さんに、
ノリーさんが当時描いていた絵が飾られていて
これは、あのひとの絵、とおもいました。
(その頃彼女は絵を描くひとでした)
その時、どうしてノリーさんの絵だとわたしはわかったのだったか、基本的にあまりお店の方にはなしかけるということもしないので わからないまま。
そしてだいぶ時間が経ってから、
何人かの方たちを通じた関わりを、わたしたちは、今
すこしだけ理解したのでした。
ずいぶんと長い時間。
わたしたちが、神戸で、あの場所に行かなかったら
わからなかったことでしたね、と話しました。
「時間はかかるだけかかるものなの。でもその時がくればあなたにもわかるわ」という言葉が こどもの頃読んだ物語の中にあり それをわたしはずっと大切にしているのですが、その言葉がふと浮かびました。
無理につくったり無理に壊したものは耐久性がないけれども かかるだけの時間をかけてつくった繋がりはそう簡単には壊れないのだと。
そんなことを ひととの繋がりということについて思いました。